「絵変皿五種」
「絵変皿五種」
初代 徳田八十吉(1873年~1956年)は、昭和28年に九谷焼上絵付で重要無形文化財保持者の認定を受けました。
九谷焼は“ジャパンクタニ”として、明治20年代には日本から海外への輸出陶器第1位を誇り、世界中の賞賛を集めていました。
内国勧業博覧会や万博で好評を得て、九谷陶画工同盟会創立など産業振興の気運が高まる九谷で、14歳の八十吉は小学校高等科卒業後に絵画の勉強を始めました。
家業の染物業と兄の陶画工場の絵付けを手伝い、窯元で染付けを学んで20歳で独立。古九谷の研究を重ねた古九谷吉田屋の写しから創造の九谷焼へと昇華、次々と品評会褒賞や博覧会優等賞を受賞していきました。
近代工芸作家の先駆者として活躍した初代 八十吉の技と色をお楽しみ下さい。
1873年 | 石川県能美郡小松大文字町(現小松市)の染物屋に生まれる |
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1890年 | 義兄松本佐平(佐瓶)に師事、陶芸の道に進む |
1922年 | 東宮殿下成婚慶典に奉納される花瓶を制作 |
1928年 | 御大典の折、萬歳楽置物を制作献上 |
1953年 | 文部省より重要無形文化財保持者の認定を受ける |
1956年 | 逝去(享年82歳) |
初代没後、二代 徳田八十吉(養子の外次)、彩釉磁器で重要無形文化財保持者の認定を受けた、三代 徳田八十吉(孫の正彦)が九谷焼の技を昇華させ、現在は、四代 徳田八十吉が伝統を受け継いでいます。