有名な観光地である神奈川県鎌倉市は、同時に移住先としても人気の高いエリアです。山と海に囲まれたこぢんまりとしたエリアに歴史的な寺社仏閣や国宝・重要文化財が多数現存しているのが特徴で、歴史的・文化的な背景が濃縮されることで、鎌倉の街を歩いた時に感じる独特の空気感が生み出されています。海にも山にも近く自然に恵まれている点、都会とは時間の流れが違う点、四季折々のお祭りや歴史に根差した催しものがある点などから、子育てやセカンドライフを楽しむために都心から移住する方が増えています。
街の中心にある鎌倉駅にはJR横須賀線・湘南新宿ラインが乗り入れており、東京・品川方面にも新宿・渋谷方面にもアクセスが容易。近年は、平日は都内まで通勤し、週末は鎌倉でゆっくり過ごすライフスタイルが人気です。
編集 平成建設
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目次
鎌倉に高級住宅が多い理由
「高級住宅街」に明確な定義はありませんが、一般的には広い敷地、整備された道路や整った植栽といった街並み、優れた眺望などの条件を満たした場合に使われます。ここでは鎌倉の開発史を紐解きながら、高級住宅街のイメージがどのように醸成されたのかを辿ります。
地価の高いエリアと高級住宅街の違い
東京都の港区や千代田区は地価が非常に高いため、住宅の建築費用が億を超えることも珍しくありません。しかし、広さとしては一般的な郊外の住宅と同サイズであることが多く、また、超高層マンション──いわゆるタワーマンションに住む方も多いことから、住居に高いコストを払っていても「高級住宅街」と呼ばれることはあまりないようです。
「高級住宅街」と呼ばれるエリアは庭園付きの大邸宅が軒を連ねていることが多く、有名どころでは千葉の「ワンハンドレッドヒルズ」や芦屋の「六麓荘町」、逗子の「披露山庭園住宅団地」、横浜の「山手町」などが挙げられます。
別荘地として開発された名残
別荘地としての鎌倉は、七里ガ浜が海水浴場として開かれた明治時代から始まります。当時、健康維持のための海水浴が推奨されたことから、鎌倉には多くの海浜別荘や海浜保養所が建築されました。1889年に横須賀線が開通すると都心からのアクセスが容易になり、鎌倉の人気は更に上昇します。御成町の「鎌倉御用邸」を筆頭に、皇族や華族、資産家らの大きな別荘が次々と建築され、「鎌倉=高級別荘地」というイメージが確立されました。
後に開発・分譲された鎌倉山や、逗子の披露山も高級路線を踏襲。大区画での分譲、電線の地中埋没化、道路やロータリーの整備などが行われ、現在の高級住宅街が形成されました。
海岸と市街地を走る江ノ島電鉄
明治時代に海浜保養地として発展を遂げた鎌倉。由比ガ浜、稲村ケ崎、七里ガ浜と、海岸線をトレースしながら藤沢駅と鎌倉駅を繋ぐ江ノ島電鉄(江ノ電)は、1902年に開業しました。開業時は路面電車だった江ノ電は、第二次世界大戦中に鉄道へと転換されましたが(実施は戦後)、現在でも道路を走る区間が残されているのが特徴。車両が民家の庭先を走る風景は、鎌倉を代表する景観の一つとして多くの人に愛されています。
まちづくりに対する様々な取り組み
昭和30年代の後半になると鎌倉の宅地開発は一気に進み、鎌倉市民や鎌倉を愛する文化人の開発反対運動と衝突します。同時期には京都や奈良でも同じような問題が発生していたことから、鎌倉・京都・奈良の古都3都市を中心に協議会が発足し、開発行為を規制し歴史的風土を保存するための法律──「古都保存法」の制定に繋がりました。
現在、鎌倉市内の約55%の地域は「風致地区」に指定されており、住宅を建築する際に様々な規制をクリアする必要があります。更に、市内の幾つかの地域は「自主まちづくり計画」を制定し、区画の小規模分割の禁止や建物の高さ制限など、街の景観を維持するための厳しい建築条件を課しています。
風致地区とは?
「風致地区」は、都市計画法にて定められた地域地区のひとつです。建物の建設や宅地造成(開発行為)などに制限を掛けることで、都市の風致(趣のある自然の風景)を維持しています。風致地区内では建物の高さや建蔽率に制限が掛かる他、前面道路や隣地からの後退や敷地内緑化の義務、他の地区にはあまりない建築物の色彩に関する規定などがあります。
新しい鎌倉をつくる景観法
風致地区に加え、鎌倉市は市全体が「景観法」が定めるところの景観計画区域に指定されています。風致地区は「今ある自然環境」を守るために設けられますが、景観法は「新たに良好な景観を形成していくこと」を目的としています。このため、風致地区と 景観計画区域の二つが定められた鎌倉は、古い景観をそのままの形で残しつつ、新たに作られる街並みが既存の景観に馴染むよう開発を進めることが義務付けられています。
建築において規制の多い鎌倉市ですが、そのお陰で統一感のある景観の維持、歴史的な風土の保全がなされていることは間違いありません。厳しい規制を敷くことで街そのもののバリューアップに繋がり、「憧れの街、鎌倉」のブランディングにも貢献しています。
鎌倉へ移住した文士たち
横須賀線の開通により都内の出版社との行き来が簡単になったことから、東京から鎌倉に移住したり、鎌倉に下宿したりして創作に励む文学者が増えました。彼らは鎌倉文士と呼ばれ、鎌倉の文化的な側面の一翼を担っています。
かつての前田侯爵家別邸である「鎌倉文学館」では、鎌倉ゆかりの文学、鎌倉にゆかりのある文士たちの展示が行われており、在りし日の鎌倉に思いを馳せることができます。和洋折衷したレトロな建物に加え、手入れの行き届いた庭園も見どころのひとつ。特にバラが咲き誇る春・秋シーズンは様々な催しが開催され、多くの人で賑わいます。
旧鎌倉とその外周部の違い
「鎌倉七口(かまくらななくち)」の内側、古代の鎌倉があった場所 ── 現在の鎌倉市中心部とほぼ重なるエリアを「旧鎌倉」と呼びます。限られた区画に多くの観光名所や有名店が軒を連ねており、住民が街を歩けば顔見知りと遭遇することもしばしば。街としてちょうど良いコンパクトさや都内からのアクセスの良さ、文化的な空気、おしゃれな店舗が定期的に入れ替わるフレッシュさなどから、旧鎌倉は移住人気が非常に高い地域です。
しかし、人気が高いがゆえに中心部の宅地は細分化されており、広い売土地を見つけることは難しいのが実情です。富裕層が観光客を避ける風潮もあり、現在、鎌倉で高級住宅街と呼ばれているエリアは中心街から少し離れた場所に広がっています。路地を一本入った先や山間の古社古刹の付近には立派な門構えの邸宅が立ち並んでおり、市街地とは全く異なる雰囲気を漂わせていますし、戦後に開発された旧鎌倉の外周部は、資産家や芸能人の住まいが多数建築されていることから日本屈指の高級住宅街として有名です。
鎌倉七口とは
三方を山に、残りの一方を海に囲まれた鎌倉は、攻めにくく守りやすい天然の要塞でした。しかし裏返せば流通が滞る不便な立地であることから、幕府が開かれた折に複数の路が作られ、その中でも特に有名な7つの路が後世になって「鎌倉七口(かまくらななつくち)」と呼ばれるようになったそうです。
「鎌倉七口」は、金沢街道と繋がる「朝夷奈(あさいな)切通」、三浦半島に繋がる「名越(なごえ)切通」、建長寺前を通る「巨福呂(こぶくろ)坂」、武蔵の国に繋がる「亀ヶ谷(かめがやつ)坂」、源氏山を登る「仮粧(けわい)坂」、現在の藤沢方面に繋がる「大仏(だいぶつ)切通」、極楽寺や七里ガ浜に抜ける「極楽寺(ごくらくじ)切通」の7つ。この7つの路に囲まれた区画が一般的に「旧鎌倉」と呼ばれています。
鎌倉の主な高級住宅エリア
鎌倉は古都保存法や風致地区制度の関係上大規模な商業施設を作りにくいのですが、それを補うようにこだわりを持つ小さなお店や隠れ家カフェ、おしゃれなレストランが数多く存在しています。
観光客で賑わう鎌倉駅東側エリアでも、一本路地に入れば閑静な住宅街に切り替わるのが鎌倉の良いところ。ここでは、そんな鎌倉の中でも特に「高級住宅地」と呼ばれるエリアについてご紹介します。
JR鎌倉駅西側エリア
鶴岡八幡宮や若宮大路、小町通のある鎌倉駅東側は一年を通じて多くの観光客でごった返していますが、鎌倉駅西側に移動すると観光客の姿がぐっと減り、落ち着いた住宅街が姿を現します。
界隈で有名な住宅街といえば、かつて鎌倉御用邸があった「御成町(おなりまち)」。皇族や貴族が別邸を構えていただけあって鎌倉屈指の高級住宅街ですが、現在は小学校や市立図書館があるため、鎌倉市民にとって身近さを感じるエリアです。
御成町の西にある「笹目町(ささめまち)」も大きな邸宅が並ぶエリア。住宅の区画が大きく、街並みが整備されており、由比ガ浜海岸や鎌倉文学館、鎌倉大仏のある高徳院へも徒歩で移動できるアクセスの良さが魅力です。
御成町、笹目町から見て北に位置するのが「佐助(さすけ)」です。自然に囲まれた閑静な住宅街で、かつては「隠れ里」とも呼ばれ、武家屋敷が点在していたとのこと。近隣には佐助稲荷神社、宇賀福神社(銭洗弁財天)など、歴史ある古社が点在しています。
扇ケ谷エリア
北鎌倉駅と鎌倉駅の間、線路を挟んで広がる扇ケ谷(おうぎがやつ)は、鎌倉市内でも地価が高いエリアのひとつ。古来より武家屋敷が建築された地域であり、英勝寺や海蔵寺、寿福寺といった古刹や、泉の井・亀ケ谷切通といった名跡が数多く残されています。線路沿いの道から一本奥に入ると、重厚な日本屋敷や瀟洒な洋館、おしゃれなモダン住宅が姿を現す扇ケ谷では、新築住宅の建設だけでなく、古民家を購入し、フルリノベーションされる方もいらっしゃいます。
扇ケ谷エリアは観光地化が進んでいないのが特徴。古代鎌倉の息吹を感じたい方、鎌倉の歴史や文化がお好きな方、レトロな雰囲気がお好きな方にお薦めです。
鎌倉山エリア
鎌倉市街地から見て西側に位置するのが鎌倉山エリア。鎌倉駅から20分ほどの距離ですが、買い物に便利な大船駅から湘南モノレールに乗り換える方も多いようです。鎌倉山はいわゆる「旧鎌倉」の外周部にあたり、1930年代から大規模な宅地開発が行われてきました。高級住宅地として開発されたため分譲区画が非常に大きいのが特徴で、現在でも「自主まちづくり計画」により、小区画での分譲は制限されています。分譲地の中心を走る「鎌倉さくら道」は、その名の通り桜の名所としても有名。分譲地内にはおしゃれなカフェやレストランが点在する一方、大きなスーパーや小売店、コンビニエンスストアはありませんので注意。
有名人の邸宅が多く存在する鎌倉山は、都市からのアクセスの良さと静かな暮らしを両立させたい方にお薦めです。山頂からは江ノ島を見ることができます。
西鎌倉(七里ガ浜)エリア
西鎌倉の高級住宅街と言えば七里ガ浜でしょう。鎌倉の市街地が山に囲まれているのに対し、七里ガ浜は太平洋に向かって大きく開けているのが特徴です。江ノ島と富士山を同時に視界に収めることができる七里ガ浜は、その風光明媚な立地が好まれ、1960年代から海近の高台を中心に宅地開発が進められてきました。
特に「七里ガ浜東」エリアは幅の広い道路が整備されており、南国を思わせる植栽や南欧風の建築物が軒を連ねる、リゾート感漂う高級住宅街になっています。江ノ電と湘南の海を見下ろす瀟洒な住宅街はドラマやCMの撮影に使われることも多く、住宅街の入り口である「七高通り」は撮影スポットとしても有名です。
商業施設は分譲地の中心部に纏められ、「みどりのプロムナード」という遊歩道が設けられています。この地区も「自主まちづくり計画」を策定しており、小規模な土地分譲や集合住宅の建築は認められていません。
海水浴が禁止される一方でサーファーの聖地とも言われる七里ガ浜は、湘南の海を毎日眺めたい方、首都圏でリゾートライクな暮らしを楽しみたい方にお薦めのエリアです。
番外編:逗子「披露山庭園住宅」
鎌倉市ではありませんが、お隣の逗子市にある「披露山庭園住宅団地」は国内でも指折りの高級住宅街です。分譲地の入り口には警備詰め所が設けられており、部外者は許可なく敷地内に入ることができませんが、披露山の山頂にある「披露山公園」は無料で利用することができ、その展望台からは美しい庭園と大邸宅の数々を遠目に眺めることができます。
披露山庭園住宅団地では人工物で塀を設けることが制限されているため、敷地の境界には低木や生垣が植えられています。従って視線が遮られることがなく、まるで分譲地全体が一つの大きな庭園のように見えるのが特徴です。 分譲地内は定期的にパトロールが巡回していること、各戸が個別にセキュリティ企業と契約していることから、安全性を確保しつつ開放的な暮らしを楽しめるようになっているそうです。住宅を新築する際には景観と調和したデザインであることが求められ、建築前に市民団体の許諾を得る必要があります。
鎌倉・湘南エリアの注文住宅の施工例
人気の高い鎌倉市内での施工事例をご紹介します。旧鎌倉とその外周部は移住や投資の対象として人気が高く、希望に合致する土地がいつ見つかるか分かりません。早めに情報収集に取り掛かり、情報を吟味することをお薦めします。
鎌倉の施工事例1「大町の家」
日本全国から選りすぐりの材を集め、古材の扱いに長けた設計士が緻密な計算を施し、大勢の大工たちが組み上げた古都鎌倉に相応しい大邸宅です。材の加工に1年、現地での組み上げに2年の年月がかかりました。
(設計:日影良孝建築アトリエ / 施工:平成建設)
古都にふさわしい、威風堂々たる門構え。正面の門は福井県から移築されました。これからも長い時を刻んでいけるよう、歴史を感じる風情は損なわないよう気を付けつつ、傷んだ部分を補修しています。
門の先には母屋と蔵が配置されています。
囲炉裏を設けた大開口、大空間のLDK。
囲炉裏上部の梁は、湾曲した材の形を利用して卍型に組み合わせられています。材と大工の腕が組み合わさることで、世界に一つだけの造形が生まれました。
母屋側には日本庭園の様式のひとつ、石庭(枯山水)が設けられています。お施主様が石の向きや並べ方にこだわって作られました。浄妙寺や長寿寺など、鎌倉市内には枯山水で有名な寺院が多くあります。
左官職人に腕が光る、堂々と聳える重厚な蔵。屋根を二重にする、腰壁の石に角度をつける、漆喰を半球状に盛り上げた「ツブ」や折れ釘を取りつけるなど、従来の「蔵」の形を再現するための工夫が随所に施されています。
蔵を守る鬼瓦は阿吽で一組になったものを制作し、表側には口を開いた「阿形」の鬼を配置しました。破風板に取りつけられているのは火伏せの「懸魚(げぎょ)」。水や魚をモチーフにした火災避けの飾り板です。
取り付けの様子はこちらをご覧ください。
大工の日々―平成建設職人集団「懸魚」
蔵の内部。古材ひとつひとつが調和し、新築の建築物には見えない風情が漂っています。
鎌倉の施工事例2「旧鎌倉の家」
旧鎌倉に建つ古民家風の新築住宅。有名な史跡へ徒歩で向かえる立地ながら自然に囲まれた庭を設えられており、ガーデニングやバーベキューを楽しむことができます。
黒く塗装した焼杉とアンティークの蔵戸により、古民家風の装い。庭側に大開口を設け、玄関側の開口部は制限しています。
洗い出し仕上げの玄関土間。真壁とアンティーク照明の組み合わせでレトロな雰囲気を演出しています。
アンティークのステンドグラスが大正浪漫の趣。
古都・鎌倉に相応しい、藁入りの塗り壁や竹竿縁の天井など、伝統的な素材を用いた和室です。
大空間LDKを温める薪ストーブ。
日々の暮らしに潤いを与えてくれる、鎌倉らしいしっとりとした庭園に向かって、各居室に大開口を設けています。
大きなウッドデッキでは、バーベキューを楽しむことができます。
平成建設には古材の扱いに長けた大工職人が多数在籍しています
平成建設では毎年新卒の学生を大工職人として採用し、自社にて育成しています。平成建設の「大工集団」は大工歴40年以上のベテランをはじめ、30年、20年、10年、5年と様々な練度の職人が多層構造を形成しているのが特徴。ベテラン大工と若手大工が仕事を共にすることで技術の伝承がスムーズに行える他、新世代の大工による新技術の開拓や提案、情報発信も盛んに行っています。
平成建設は静岡・東京・神奈川に支店がありますので、鎌倉・湘南エリアでの施工実績も豊富です。建築は鎌倉、相談は都内というご要望も、世田谷支店や日野支店にて承っておりますのでお気軽にご相談ください。
まとめ◇個人邸が古都の景観を形成する
都内からのアクセスが良く文化と歴史という強力なバックボーンを持つ鎌倉は、今後も居住地として高い人気を維持し続けることが予想されます。鎌倉への移住や鎌倉での建て替えを検討される折には、ぜひご自身のお住まいが鎌倉の景色を形成するパーツであることを考慮し、古都に相応しい外観・庭園を設えることをお薦めします。
鎌倉駅西側エリアは、鎌倉という街がお好きな方にお勧めしたい地域です。市街地に近く、休日はお散歩気分で寺社仏閣を巡ったり、四季折々のイベントに参加したり、新しいお店をチェックしたりすることができます。