無限定な広がりと分節のリズム | 藤沢SHOWROOM通信 -平成建設藤沢支店ブログ-
雑記

無限定な広がりと分節のリズム

まとまった広さの土地を分割して建築をしようとする際、敷地は2m以上道路に接しましょうという法律があります。都市が密集しすぎて人が快適に過ごす環境が損なわれるのを防ぎ、空地として担保される公衆道路に、住環境をなるべく近接させようという意図があります。それによって道路から奥まった土地は建築地としては活用しづらくなります。そんな時に土地の開発者は、旗竿敷地と呼ばれる土地区画を行うことがあります。

ニューヨーク近代美術館の設計者谷口吉生氏が、自身の経歴の中でも初期に当たる1975年に手掛けた「雪谷の住宅」が公開されると聞き、見学に訪れました。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館や上野の東京国立博物館法隆寺宝物館など数々の名建築を手がけている氏の公共建築での手腕は誰しもが認めるところです。氏が手がけた住宅として非常に希少な事例であるこの物件は、旗竿敷地に位置しています。

道路側に立つコンクリート打ち放し製のゲートをくぐり抜けて通路を進むと、2階建てにしては抑え気味に設定された階高が気品を漂わせています。通路から正面にあるエントランスが、家全体では端に位置することになるのは、旗竿敷地の特徴です。

鈍い黒に塗装されたスチール製の門型ゲートがエントランス部に前と後、二つ並んでいます。ゲートの内側には黒塗装のスチールドアがはめ込まれています。二つのゲートに挟まれた、エントランススペースには段差があって、ここで靴を脱ぐことを促されます。

 

しかしそこをぐっとこらえて、奥にある二つ目のゲートの扉を靴を履いたまま開けると、高さ5m幅10m奥行7.5mサイズの、住宅のスケール感としては異質な屋外空間に出ます。ガラスの天井を設けさえすればそこは二層分吹き抜けた美術館のアトリウム空間かのようです。

中庭を囲む壁面に大きく穿たれた開口部からは、地盤面が一層分高い隣地に植わる、樹木や花の景色が眺められます。中庭にはタイルの床面以外に一部土を残した植栽ゾーンがあり、程よく枝ぶりを落とされたポプラが二本、根締めにはへデラが植わっています。通路を除いた敷地は約15m角サイズ、中庭を除いて残るL型平面が室内空間となります。

黒いゲートに挟まれたエントランスから、隣接するダイニングスペースへは至る廊下がありません。中庭に向けられた窓の腰高さはテーブルより少し高く、一方窓外に広がる中庭の地面は窓下端に近接しています。つまり中庭の床の高さは、室内より持ち上げられているのです。そういえば、玄関から中庭側に出てすぐ、対角方向に広がる4段分の階段がさりげなく配置されていました。

 

さらにこの窓は室内側に折り返された出窓形状をしています。一般的にいわゆる出窓とは、屋外側に窓が凸状に飛び出すことで正面と側面、合わせて3方向から光を採り入れますが、ここでは屋内外を反転させた凹状をしています。正面のガラスは固定、両側面のガラスが開閉し風を取り込みつつ、脇に設けられたカウンターを横方向から照らします。

 

ダイニングには、この窓以外特筆されるような意図的なデザインは見当たりません。にもかかわらず、このダイニングはこの家で最も居心地の良いスペースとなりえています。敷地全体、家全体の比率から見ると非常に限られたサイズであるにもかかわらず。過分な広がりを中庭に配することで、内に向けて閉じたダイニングがいっそう心地よい安心感を生み出しているように感じます。

 

敷地は限定された広がりを持つため、その中でいかに建物の構成要素を配分していくかに設計者の技量が表れます。一見パズルの組み合わせを試みているかのようですが、実際に人がその中を歩いて動き回ることを想像しながら、また周辺の環境との距離感や向き合う方向性を意識し、かつ実際に組み立てる素材の持つ表情や力の流れを、もちろん社会的文化的に前提となるルールを踏まえた上で、総合的にバランスをとっていく設計行為は、マンガのコマ割りに近しいのかもしれません。

ダイニングを抜けてさらに奥へと進むと半層分の階段がリビングへとつながり、さらに半階上がるとベッドルームと水回りがあるプライベートゾーンがあります。階段に沿ったガラスは1.5層分の高さを持つと同時に外部吹き抜けに隣接しており、リビングと階段とテラスに渡るダイナミックな空間構成に寄与しています。

 

谷口氏が雑誌に寄せた設計趣旨(GA HOUSES、1976年11月号)の中に、屋内のような中庭と屋外のような居間が視角によって入れ替わることで内と外の境界が消滅し、空間が無限に拡がることを求めたとあります。屋内が屋内らしくあって、屋外が屋外らしくあってはいけなかったのでしょうか。自分に無い物を希求する人間という生き物のさがだとしても、自身に根の無い物は身につく期間は短く、次第に放れてしまいます。

 

設計者は無限に広がる水平線や、永遠を希求しがちです。自身が取扱える建物や敷地の規模は限定されているとしても、空間は確実に外部に向けて連続し、限りなく広がる水平線と二本足を支えるこの大地は地続きのはずなのにです。

不安に襲われた時に生じてしまいがちな分断を、なるべくならバリアがなく自由な状況に維持することが、様々な諸事情を抱え込んだ現代に生きるものにとって好ましいと考えます。永遠や美に同化することで、不安を打ち消す力を建築は手に入れたりもします。

 

無限定な広がりに応える分節のリズムに、設計というデザインの始源があるのかもしれません。