我が家にはテレビがないということもあり、帰宅するとラジオということでもなくその時たまたまセットされているCDをとりあえず流してみる。ジャンルでの好みということはなくて、作り手のキャラクターとの相性が良ければ繰り返し聴く機会は増えて、時にはひと月ほど同じアルバムと付き合っていることもあったりする。そうなるとおのずとメロディやリズムが体に馴染むこととなり、仕事中にもついつい鼻歌となって周りの同僚に怪訝な思いをさせ、注意されたりもする。
一時間弱ほどの時間を十曲前後の曲で構成されるアルバムは、一曲一曲の魅力だけでなく幾つかの曲が前後してながれている時間の塊として捕まえていく感覚が強い。すでに馴染んでいる耳は、一つの曲の終わりが来ると、次にどんな曲が流れ出すか予期できるようになり、たまに同じアルバムをスマートフォンで曲順をシャッフルして聴いたりすると、腑に落ちない気分になったりする。そういうことでは彫刻や絵画を眺める行為というより、前から後ろの流れに沿って体験する映画や小説の感覚に近しい。
アルバムに付属した歌詞カードは、ほとんど見たことがない。曲名すらあまり気にかけたりはしない。だから、案外作り手が込めているメッセージを誤解していることもあるだろう。一度に全てを理解しようということでなく、持続して聴き少しづつ紐解いていくことで、自身のその時々の出来事とたまたまシンクロしたりし、より身近に感じ出したりすることもある。
何かの話のきっかけで、同僚とお互いオススメのアルバムを一枚ずつ貸し合おうということになった。自身が選んだ一枚のタイトルは、「homely」。ジャンルで言えばロックなのだけど、長野を拠点にしている作り手の、持てる反骨を振りかざすのでなく予定調和を宙吊りにしながら烏合に染まらず保つスタンスは瑞々しい。
それぞれいろんな生活をしているけれど、すぐ隣の人がどんな世界を過ごしているのか、知っているようで知らないことがほとんどだ。共有できる数少ないものがあるとしたなら、たまたま一緒にランチやお茶をしたりする中で垣間見る日々の細切れな出来事を、流れる時間の記憶として振り返らせる、台紙としての空間。