雑記

おススメの「一期一会」

季節ごとに並ぶ旬の果物が好きだ。いろんな種類の果物があるけれど、それぞれに実るにふさわしい季節があって、的確に収穫され店先を彩る。好きな俳優はと聞かれて旬な人と答える時より、一番好きな果物と聞かれて旬な果物と答える方が不自然さは少ないかもしれない。

 

積み上げられたリンゴの中から一つを選ぶとき、過去に出会ったリンゴとの一期一会がフラッシュバッックし、皮の表面張力や芯に現れる味覚の兆候を見逃さずに汲み取り目で食す。そしてこれぞという跳躍が彼方の存在に触れる。

 

不安の中で訪れる期待と実在との隔たりに確信や失望が訪れたとしても、そこで交わされた対話は物体としては固定されずに聞き流されていく音楽のように自身の身体を通り過ぎていく。

現代美術家の内藤礼氏の水戸芸術館での個展に訪れた昨年10月8日は会期の最終日で、会場の中庭では作家の日比野克彦氏と子供達とのワークショップが盛況だった。

 

「明るい地上には あなたの姿が見える」と題された展覧会主旨により室内の展示は自然光によるため、閉館時間が9月1日から17時に早まっている。トップライトがあるおかげで曇り空でも明るく照らされている展示空間と、その明るい部屋からの間接光で薄暗くあってもなんとか人の移動には差し支えのない光量は確保されている、二種類の領域があった。その中を、糸・鈴・ガラス瓶・風船・鏡・水・ピンナップ写真・人型の木彫といった小さく儚げな物体と、それらのシルエットを映し出す白地の平面を縁取った額装が掲げられている。
暗がりにある白地の鏡面は、明るい部屋を背にした鑑賞者の軌跡が生み出す、かすかな明度の変化をフレームの中に反映する。この場所が備えている光の条件を的確に読み取り、ささやかな物体が持つ決して強くはない力を媒介して、訪れた人々に送り届けている声がある。そのあまりに小さい声は、細心の注意を払わないと聞こえてこないものだが、静寂に耳をすませ寄り添うことで声は鋭敏な印象を心に残す、そして聴こえてくるもの。

20年ぶりの同窓会で帰省した折に、瀬戸内海の豊島を訪れた。JR岡山駅からバスと船を乗り継いでたどり着いた岸辺は、この地域に豊富な花崗岩で覆われている。豊富な湧き水を利用した美しい棚田が広がるこの島も、高度成長期の一時は産業廃棄物問題に悩まされていたらしい。2010年から「海の復権」をテーマとして開催されている瀬戸内芸術祭をきっかけとして、公益財団法人福武財団による棚田の復元と、内藤礼氏の作品だけを常設展示する豊島美術館の建設がなされた。

建物は、瀬戸内の海と棚田を見下ろす小高い丘の中腹に、約40×60mの二枚の薄いコンクリート板が折り重なって配置されている。一枚は地面の傾斜に合わせて緩やかに湾曲する床となり、もう一枚は焚き火にかざす手のひらがかたどる緩やかな曲率程度の天井。床板には目では見えないほど小さな穴が穿たれており、屋根面は直径10数メートルほどの二つの円がくり貫かれている。

床の小さな穴からは湧き出る地下水が水滴を産み出し、天井の大きな穴からは晴れた日には日差しが、朝靄が、時には雨風が自在に入り込む。張力を玉状に漲らせた水滴は床の傾斜に沿っていくつも流れ出し、容量と加速度のある水滴が前を進む小さな水玉を、取り込み一体となって大きな流れとなる。さらに先にある水滴との同化を繰り返し、いずれ一条の筋を形成し最下端に到ったたまりは泉と呼ばれる。

 

ここに来やしないでも日常に満ち溢れている自然現象だ、けれども無数に行き交う情報の中から取捨選択されて提示された抽象に、感覚の触手の泡立ちが誘発される、ざわめき。

この作品のタイトルは「母型」。

「on this bright Earth I see you」と題された展覧会チラシの、小さな木彫の人型の背景に着目してみたなら、グレーと白の境界線はおぼろげだ。天と地の境界で行き交う言葉の芳醇と、立ち尽くす木訥。彼岸と此岸の狭間から呼びかける声、混濁の世界を漂泊する流木に宿る垂直な浮力。