雑記

奇跡とともにある罠

行きつけの美術館がある。二ヶ月か三ヶ月の間に一度は訪れるから、必然同じ企画展が催されているが二度目だからと寄らないこともない。坂倉新平、原田直次郎、砂澤ビッキ、萬鐵五郎の時もそうだった。展示されている絵や彫刻は、時には貸し出される条件で期間の限定があり内容が入れ替わることもあるが、主となる会場構成に変化はない。海沿いでかつ山を間近に背負っている美術館は季節や気候、一日の中でも時間帯によっても印象が異なるからか、作品から受け取る印象は毎回少しずつだけれど質的な変化があるように感じる。決して座席数は十分でなく大抵混雑しているが味も海への眺望も申し分ない付属のレストランは、朝刊に連載されている桐野夏生氏の小説の舞台としても登場する。

日本画家の堀文子は今年白寿、九十九歳を迎える。長寿の画家や作家の歯に衣を着せぬ発言が話題でベストセラーになることも珍しくない時代だが、どの世代にも一定の割合で意識の高い発言を公にしている人々はいるけれど、皆が同じようにクローズアップされるわけでない。堀氏の発言は、率直だ。戦中人を殺したりすることに加担せずにいるにはと考え抜き、たどり着いたのが美だという。

画家なのだから絵が最もその人となりを伝えてくれるように思えるが、堀氏の場合はそういうわけでもない。大抵芸術は作品として自立した存在ではありえず画家の意図や思惑に絡みとられ、時代背景とどんな立ち位置で描いたのかが重要とされることは多い。生きられた作家が主体であることが近代絵画の原点にある。にもかかわらず堀文子の絵画に限っては、彼女の残した言葉や思考と切り離されている。作家としての気構えは、絵と向かい合ったときに消えている。描き上げられた絵からその作者の意図を窺うことも困難だ。ここに堀文子氏の特筆される現代性が潜んでいる。

野狐が景色を眺めるように描きたいと氏は語る、言葉にすればそうなるのだけど、絵を描いているときに自分を野狐だとは思いはしない。自然の中での野狐の立ち位置を想像して眺めることと、野狐であることとは別のことだ。関係性としての野狐、ということではない。熊だって羊だって構わない、わけではないのだ。世界を立ち上げる際に野狐になることがその作家にとっては必要なのである、自分から離れるために。堀氏は生命の流れを描きたいという、生命を描きたいわけではなく。氏の描く木のデッサンをもし機会があれば眺めていただけたらと思う。一枚一枚の葉が光と影を折り重ねて木というヴォリュームを形づくる、ただそれだけのことが驚くべきことだとの認識が生まれる。奇跡はそこにある、同時に罠も。

到底野狐にもあるいは木にも、人は成り続けることは不可能なのだ。だからこそ氏は、三十回も引越しを重ねたし、葛飾北斎に至っては九十回に及んだという。六十九歳でイタリアに引っ越しその後、メキシコ、ペルーなどへも旅し、ヒマラヤに登ったのは八十一歳の時だ。安住を厭い孤独を恐れない精神の軌跡が、立ち入ることすらできない深い山奥に一時だとしても僕らを連れ出し消失させてくれる。その後継続延長を求めるかどうかは自身次第によるのだとしても。