三軒茶屋駅前の高層ビル、キャロットタワーの3階に世田谷パブリックシターはある。狂言師の野村萬斎氏が2002年より芸術監督を務めるこの劇場は、今季開場二十周年プログラムとして、井上ひさし氏が遺した戯曲「シャンハイムーン」を主催する。古典芸能で培った身体性を駆使し現代劇・映画等でも抜群の存在感を醸し出す俊才・野村萬斎が今回演じるのは、中国近代小説の先駆者であり反帝国主義・反封建主義の立場から多くの批評やエッセイを記した作家・魯迅。東京新聞で見かけた魯迅の妻許広平役を演じる広末涼子が、この劇への思いを語ったインタビューが印象に残る。
青年団という名の劇団を好んで観に出かけた時期があった。演出は平田オリザ氏、東日本大震災直後の原発がもし最悪のシナリオをたどった時、国民に向けて首相が発表する談話草案を手がけた劇作家だ。現代口語演劇理論を提唱し、演劇が持っていた仰々しい発声や身振りを問い直そうとする姿勢は、ありふれた日々の言動の中にあるリアリティを抽出することで、華美ではなくとも誠実であることの力と信頼を取り戻そうとしている。
「シャンハイムーン」の舞台となるのは、1934年上海にあった日本書籍を扱う内山書店。1840年のアヘン戦争以降海外の列強国が統治する外国租界と、もともと中国人が住んでいた地域は近接しており、魯迅と日本から移り住んでいた内山夫妻はここで出会うことになる。特権のある外国人と一部の富裕層以外の中国人との間には自ずと軋轢が生じ、武力を笠に着る日本人に向けて広がる抗日運動の最中にも魯迅と内山書店に集う日本人との間には、属する国家に限定されない人間同士の絆が生まれていたことが、演劇という枠組みの中で再現される。
史実をベースにしていたとしても、ある作家により再構築された演劇世界はフィクションである。にもかかわらず、歴史にある出来事を俯瞰して眺めているだけでは見えてこない役者たちの息づかいや立ち居振る舞いは、確かにそこにいたであろう人々が自身と近しい隣人であったこと、そしてもしかすれば自分もそこにいたかもしれないという気持ちを抱かせてくれる。
演出の栗山民也氏が、この戯曲を「嘘がない人たちのドキュメント」だと記していることは正確な表現だ。そしてこの戯曲が初演から二十五年以上経った今の日本だからこそ再演されるべき意義と、その危機感を共有する。
住まいを提供している私たちは、街や人に誇れる家づくりを日々問うている。何十年と人が過ごした後ようやく正しい評価がなされるのが家だとしたら、時代の変化に耐えうる価値とはどんなものかと悩み迷いつつも、身体が覚える違和感をなおざりにしないスタンスを保ち続けていたい。