スタジオジブリの「かぐや姫の物語」で印象に残るワンシーンがある。竹から生まれたかぐや姫が翁に見つけられて村で暮らすようになり、子供達と遊ぶ中で何かの拍子で転げてしまう幼い姫が、成長の速い竹の子ならでは二転三転とするうちにあれよあれよと身体を成長させていくのだが、そのなめらかな描写による変幻ぶりに魅了される。実写表現でこうはいかないのはもちろんだが、アニメーションだからといってたやすく出来得るレベルの話ではないのだろう。
どこまでディテールを詰めれば良いか、どこで表現の過剰に至らぬように筆を置くのかは、水墨画の世界観に通じるものがあるだろうが、決して古めかしさは感じられない。監督は「アルプスの少女ハイジ」や「火垂るの墓」でおなじみの高畑勲氏。東京国立近代美術館で開催されている「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」展の会期中に氏の講演会があり、配布される整理券を求める長蛇の列が開館前にすでにできていた。
熊谷守一はその風貌と言動と生活で仙人かのようにイメージが流布されてしまっているが、本展覧会では色彩学や音響学に並々ならぬ関心を寄せる科学者としての性格にスポットが当てられているのが意外だった。主な作品は油彩画であるが、シンプルな線と色彩面で構成されているため、浮世絵などの日本文化に由来しているのかと思いきや、画家としての出発点は西洋画における光と影がテーマだった。
その延長線上でたどり着いた守一スタイルは、一見グラフィック的な抽象を目指すデザイン要素で構成されているように感じられるものの、実物の絵画を目の前にして気づかされるのは、対象の手応えを追い求める鋭敏な実在性を備えていることだ。
たとえばアニメーションで花を描く際に、本物らしく描けば描くほど目も当てられなくなる、俺は本物なんだぜと叫んでいるかのようだから。かえってサラサラッと描き私は本物ではありませんとした方が、見る側に想像力を働かせることができるのだと、高畑氏は力説する。矢野顕子の新作アルバム「Soft Landing」のジャケットを飾る久保ミツロウ氏のイラスト、手をかざしつつ遠くを見やる少女。
絵とデザインの違いは何だろう。フランスのギャラリーで熊谷守一の展示をする際に製作したポスターがある。「鬼百合に揚羽蝶」を画面いっぱいに配し、絵の中の余白に黒のゴシックでKUMAGAIとギャラリー名が横文字で入ったものだ。高畑氏はこのポスターが「デザイン」になってしまっていると、そして「絵」とは全く異なるものなのだという。
今回の展示で気に入ったのが「風景」と題された一枚の絵だ。山なみを背景に前景には畑がありその中央で馬が藁を食んでいる、特段取り立てるほどのこともない単純な構成だが、眺めて居るその場所での時間がかけがえがなく愛おしいものだと感じられる、そんな絵だった。通りすがる人が何気なく立ち留まり眺め場所と時間を共有する、そんな懐の深い建築を僕らは日々生み出せているだろうか。