かつての勤め先がデザインしたギャラリーが催す展示会の画家は、自分がかつてヨーロッパの村で見かけたパン焼き窯がモチーフだと教えてくれた、その絵のタイトルは「東方」だった。素地のコンクリートブロックを馬踏目地に積んだ壁を背景に絵は掛けられている。間口4m奥行き8m程度の小ぶりなスペースは地下にあり、一、二階では本屋が営まれていた。妻壁と呼ばれる短手方向の正面壁にはブルーとセピア色の描線で遺跡を形どる大振りな水彩画が配され、かの画はその左手に陳ぶ小品の幾つかのうちの一つだった。縦40センチ横30センチの楢の木製の額縁を縦に4分割、横に二分割されたサイズの白地の領域を目一杯に使い描かれた黄色の輪郭線は円錐上の屋根を持つ窯の形を縁取っている。立体がその端部で起こす光の反射の不連続が存在を浮かび上がらせることに細心の配慮が注がれる。光と影のコントラストで世界を把握するのではなく、拡散する光の粒子の瞬時の戯れを切り取りつつ持続させようとする、坂倉新平氏の無邪気な途方無さに驚愕させられる。交わした言葉の記憶は、旅が彼に与えた影響の大きさと背中を押してくれた同姓の著名な建築家との出会いを語る。
その絵は居間のチェストで日々に欠かせない定位置を占めるようになった。見返すたび色彩が染み込む挙動を喚起する、身体の記憶を再構成しながら世界の起伏に眼の快楽を委ねながら。微かに触れ得た地平の先端は時と場所を隔てながらも地続きな球体に私たちは暮らしている。
「館長のギャラリートークがありますので宜しかったらロビーにお集まりください」鎌倉と葉山にある日本で初の近代美術館の館長を務める水沢勉氏の語りに聴衆は引き込まれざるをえないのは、声のトーンに依るところが大きいのではないか。もちろん歴史認識に裏打ちされた博識に唸らされることは数知れないが、特筆すべきは自らの体感を拠り所としながら精緻に編み直された音楽を連想させるグルーヴ感である。作品を鑑賞する人々やその展示される場所性がともに一つの作品を構成していると砂澤ビッキの作品の特徴を解説したのは、彼自らがそこに問題意識を持ち得ているからに他ならない。
坂倉新平と神奈川近代美術館との協働は1993年に舟越桂との二人展が印象に残るが、1988年1990年にも現代版画の展示にリトグラフを出展している。昨年末には葉山館での「光、この場所で」と題された企画展の特集展示として坂倉新平の油彩画が十数点展示された。通常は作品保護のため開放されない一色海岸に面する窓から射す光に満たされた展示空間は巡回する照度計を携帯した学芸員によって一定ラインを越えないよう綿密に維持されていた。坂倉氏のフィルターで一度濾過されキャンバスに逆照射された光は、水平面から反射された間接光と手を携え輪舞する。
模することから解放され抽象された光は自律した脈動を得る。いつかでもどこかでもなく自らが立つこの大地の上にしか血は流れない(松本竣介の「立てる像」を観よ)。遠く離れた場所や時間の刹那に流されず、強く踏みしめたかかとを徐々に浮かしながら深くその場に近接するグラン・プリエ。