雑記

お気に入りの「夜道」

平成建設藤沢ショールームのある辺りは、駅から少し離れた旧街道に面してまだゆとりある広さの土地が多いせいか、道路に面した塀にも趣があります。例えば、明治初期に建てられ有形文化財に指定されている旧三觜(みつはし)八郎右衛門家の石塀。JR辻堂駅から藤沢ショールームまでの最短距離を検索して辿ると密に軒を並べる住宅街を抜ける途中にぽっかりと穴のような砂の空き地と三本の楠の巨木があって、公園や駐車場に使われている訳でもなく贅沢なものだなと通りすがりに気に留めていたら、ある日その空地に面した立派な薬医門(公家や武家屋敷の正門として使われたもの)に「公開日」との立て札がありふと中を覗いてみると、140年前に建てられた商家造りの民家が市の管理で週二日見学可能とのこと。今となってはとても手に入らないような贅沢な無垢の木の構造材や造作材をふんだんに使用した二階座敷を持つ希少な民家はさておき、手入れの行き届いた庭木や商業っ気が無くその分好感の持てるスタッフの応対もさておき、最も心惹かれるのはその空き地に面している素朴な石塀です。

道路から眺めると砂地が手前に15m程あるので通りすがりに直接触れたりはできません。高さは五尺五寸(166cm)、高さ25cm厚さ20cm長さ80cmの角石を5段積み、長さは薬医門を挟んで総長約33m、鎌倉市内で昭和初期まで採掘された鎌倉石だそうです。火山灰が混ざった凝灰質砂岩で加工がしやすく耐火性があり、鎌倉時代から社寺の石段や土台に用いられました。長い風雨にさらされ風化した表面は砂の黄土色の上に白華と苔の色が混濁しえも言われぬ風情を漂わせています。けれども近所の子供達にとってのこの塀は、意図せぬ方向に蹴り上がったボールが管理される側に落ちるや否やを分かつ境界線の役割を与されるにすぎない存在です。子供達が日常のそのささいなシーンの背景に石塀が果たしている役回りをかけ替えのないものだと感じ得るには、今しばらくの時間を要するやもしれません。

 

もうひとつ気になる塀を紹介します。こちらも職場からの帰り道沿いにある白い塗装に覆われたコンクリート製のものです。6尺ほどの高さは面する通りがゆるくカーブしながら傾斜しているために3〜4mごとに上端の高さを落としながら段々と続いています。塀の向こうには鬱蒼とした様々な樹木が茂っており、風の強い日の朝にはまだ熟す前の青々とした栗の実がコロンと道の真ん中に転がっていたりします。入口を挟んで50mほど続くこの塀の末端にニッチ状に窪ませてお地蔵さんのスペースがあったりするのからも、割合古くからある通りなのでしょう。自転車でくだりながらの勢いに任せて段々とくだってゆく水平線の様を眺めるのも心地良いのですが、雨上がりの夜道、ゆるやかな勾配を歩くのも一興。それほど照度のない外灯がカーブの向こう側をほんのり照らしているだけなのがかえって視覚情報が限定され、虫の声や雨上がりの湿度の変化に敏感になれたりします。

 

大貫妙子さんのエッセイの中で、人を好きになった時に目が見えなくてもこの人を好きになっただろうかと問いかけてみるとあり、その価値判断の潔さが鮮明に残っています。そのエッセイは「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以下DITD)」という視覚障害者のアテンダントとその日初めて出会った8名の参加者チームが真暗闇の中を白杖を手に巡り、様々な仕掛けを体験する中で対話を行うという興味深い試みを紹介したものです。地下鉄銀座線外苑前駅からマリオ・ボッタのワタリウム美術館を左手に見、東孝光の塔の家を右手に眺めながら通りを行くと竹山聖のデザインによるコンクリート打ち放しの建物が見え、その地下にDITDはあります。くまモンで知られた水野学氏によるクールなロゴデザインに相応なとてもセンス良く纏め上げられた気持ちの良い待合空間がそこでは提供されています。ネタばれになるのであまり詳しい紹介は避けますが、そこで出会ったアテンダントの方が、見えなくとも仕草で好みの芸能人が分かれたりするとの話を聞かせてくれました。話し方や、話と話の間の間合いにその人の個性は感じられたりするのでしょう。視覚のない世界では、この手のひらに触れている先に世界は確かに続いているのだという当たり前といえば当たり前の事実が、読み取れる情報の主要な入口としてクローズアップされている分実感できる気がします。見えすぎることが距離を生み、比較を生み、序列を生み出しているのだとしたら。不在も存在も実は地続きなのでしょう。たとえば点字、その凹凸による連綿。

私たちが目で追う境界線は、世界の外と内を隔てているのではなく、地続きの生態系が生み出す特異な起伏や隆起のようなものであってほしいと願います。惹かれる塀の立ち居振る舞いに、たった今沖縄が直面する困難への想像力の不足に向けられた試金石を見るのは早急過ぎるでしょうか。

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